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ビクトロンの歴史(1)

 ビクトロン(Victron)とは、日本ビクターが発売していた電子オルガンの商品名でした。

 1958年(昭和33年)、日本ビクターは国産初の電子オルガンを発売しました。以来、1991年(平成3年)に電子オルガン製造から撤退するまで、多くの機種を生み出しました。今となってはすっかり過去のものとなってしまったビクトロンの歩みを紹介します。

1. EO-4420の開発とその進展(1958-1965)

 戦後日本で、電子オルガンといえば、NHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」や映画「君の名は」などの音楽にハモンドオルガンが使われていたほどで、一般にはまだまだなじみの薄いものでした。

 そんな中で、1958年(昭和33年)に日本ビクターが国産初の電子オルガンEO-4420を発売しました。このEO-4420は、日本ビクター音響研究所の技術陣が自由な発想で開発したもので、真空管式の電子オルガン。音質は、パイプオルガンを彷彿とさせる美しい音色で、57万円という当時としてはとても高価なものでした。

EO-4420型
国産初の電子オルガン

 このEO-4420は、音質の良さが評判となり、発売後、教会、ミッション系スクールの礼拝堂などへ多数納入されました。

 EO-4420に続き、EO-A3、EO-3Bという試作品を開発していました。これらは、発売には至らなかったものの、本格的な楽器事業への参入を考え、技術研究を重ねていきました。

2. ビクトロンの誕生(1966-1969)

 「ビクトロン」という商品名が初めてつけられた機種は、EO-100。EO-4420の発売後、8年間の研究の末の発売でした。

 EO-100からドローバー方式を採用し、特にこの時期の中心機種であったEO-200は、ストリング系の音色が美しいと評価されました。

 当時ビクターの指導講師であり、プレーヤーでもあった道志郎さんが、EO-200を使い、全国各地でのコンサートやレコード製作でEO-200の美しい音色を如何なく発揮した演奏でした。

EO-100 EO-200
EO-300 EO-1000

3. ビクトロンの一大発展(1970-1972)

 EO-300に続いて、1970年(昭和45年)に同じくアイボリーデザインのEO-700を発売。この時期は、ビクトロンの発展期となり、フルート系のドローバーを重ね合わせて、豊かなオルガンサウンドを作り出す多カプラー方式を採用。特に、EO-700は楽器業界にビクトロンの音の良さを定評づけた機種となり、以後「音のビクター、音質重視のビクトロン」が業界の定説となりました。

 また、この時期全国に楽器専門店作りをはじめ、教室の指導体系・教材体系を確立させ、第1回ビクトロンコンクールが開催されたのも1971年(昭和46年)でした。

第1回ビクトロンコンクール決勝大会(1971年)

 森ミドリさんが、TBS系「8時の空」で、EO-700を使ってビクトロンのイメージを全国のお茶の間に広めたのも、1972年(昭和47年)からでした。同年発売されたEO-250SRには、電子オルガンに初めてオートリズム(20種)がつき、さらにEO-360STRがアイボリーデザインで登場、一般の多くの人々へビクトロンのイメージを印象づけた機種となりました。

EO-360STR

4. 教室の充実と海外進出を計画(1973-1975)

 EO-700、EO-250STR、360STRなどでビクトロンの機種構成が確立したのを機に、日本ビクターではソフトの強化、特に教室増設や生徒募集、講師養成講座の充実などを推進いたしました。

 また、1974年(昭和49年)に発売のEO-5Mには、自動伴奏装置(ファシネーティング・コード)の前身にあたる「マジックアンサンブル」を搭載。これは、国内、海外市場を分析した結果、電子オルガンに、より手軽な要素が必要と判断され、「マジックアンサンブル」が開発されました。

EO-5M

 そして、ビクターの技術を結集させて、三段鍵盤の「コンサート・ビクトロン」を開発。これは本格的なステージ用の機種で、森ミドリさん、小島秀子さんによってコンサートで使われ、またNHKの「歌のグランド・ショー」にも森ミドリさんと一緒に登場。ビクトロンの最高峰として注目されました。

コンサートビクトロン NETテレビ(現・テレビ朝日)スタジオでスタッフとコンサートビクトロン演奏の打ち合わせをする森ミドリさん
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