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ビクトロン千一夜

ビクトロンの歴史(4)

2019.04.19

西暦 和暦 機種名 鍵盤
(鍵/段)
ペダル
(鍵)
カプラー 付加機能 価格
(円)
備考
1958 昭和33 EO-4420 44/2 13 - - 570,000 国産初の電子オルガン 全真空管式
1966 昭和41 EO-100 49/2 13 - - 195,000 アンプ真空管式
1967 昭和42 EO-200 49/2 13 - - 285,000 全トランジスタ式
1968 昭和43 EO-300 49/2 13 4 - 460,000  
1970 昭和45 EO-120 49/2 13 3 - 240,000  
EO-220 49/2 13 3 - 325,000  
EO-700 49/2 18 7 トレモロ 820,000  
EO-80S 44/2 13 3 - 175,000  
EO-80D 44/2 13 3 - 189,000  
1971 昭和46 EO-81R 44/2 13 3 リズム 240,000  
1972 昭和47 EO-150SS 44/2 13 3 - 280,000  
EO-250SS 49/2 13 4 - 370,000  
EO-250ST 49/2 13 4 トレモロ 410,000  
EO-250SR 49/2 13 4 リズム 410,000  
EO-250STR 49/2 13 4 トレモロ/リズム 450,000  
EO-360SS 49/2 13 5 - 500,000  
EO-360ST 49/2 13 5 トレモロ 540,000  
EO-360SR 49/2 13 5 リズム 540,000  
EO-360STR 49/2 13 5 トレモロ/リズム 580,000  
1973 昭和48 EO-130R 44/2 13 3 リズム 300,000  
EO-151SR 44/2 13 3 リズム 340,000  
EO-151STR 44/2 13 3 トレモロ/リズム 380,000  
1974 昭和49 EO-5M 44/2 13 3 自動伴奏 450,000  
1975 昭和50 EO-8P 49/2 13 5 トレモロ/リズム 860,000  
EO-10S 49/2 13 6 トレモロ/リズム/シンセ 1,080,000  
EO-10SW 49/2 13 6 トレモロ/リズム/シンセ 1,140,000  
1976 昭和51 EO-G2 44/2 13 3 - 270,000  
EO-G2R 44/2 13 3 自動伴奏 316,000  
EO-G3 44/2 13 3 自動伴奏 356,000  
1977 昭和52 EO-M6 49/2 13 9 トレモロ/リズム 760,000 (*1)リズム変更
EO-M8 49/2 13 9 トレモロ/リズム 870,000 (*1)リズム変更
EO-M20 61/2 25 9 トレモロ/リズム 1,500,000 (*1)リズム変更
EO-M20W 61/2 25 9 トレモロ/リズム 1,580,000 (*1)リズム変更
1978 昭和53 EO-G5F 44/2 13 3 自動伴奏/トレモロ 530,000  
EO-G6 49/2 13 4 トレモロ/リズム 620,000 (*1)リズム変更
1979 昭和54 EO-G3F 44/2 13 3 自動伴奏/トレモロ 368,000  
EO-M10F 49/2 13 9 自動伴奏/トレモロ/シンセ 530,000 (*2)シンセサイザー回路追加
EO-M10FW 49/2 13 9 自動伴奏/トレモロ/シンセ 530,000 (*2)シンセサイザー回路追加
1980 昭和55 EO-M8S 49/2 13 9 トレモロ/リズム 830,000  
EO-G30 44/2 13 4 自動伴奏/トレモロ 295,000  
EO-G40 44/2 13 5 自動伴奏/トレモロ 375,000  
EO-G50 44/2 13 5 自動伴奏/トレモロ 485,000  
1981 昭和56 EO-M70 49/2 13 9 自動伴奏/トレモロ 690,000  
EO-M90 49/2 13 9 自動伴奏/トレモロ 850,000  
EO-M90W 49/2 13 9 自動伴奏/トレモロ 950,000  
EO-M120 49/2 13 9 自動伴奏/トレモロ/シンセ 1,150,000  
EO-M120W 49/2 13 9 自動伴奏/トレモロ/シンセ 1,250,000  
EO-M150 61/2 25 9 自動伴奏/トレモロ/シンセ 1,400,000  
EO-M150W 61/2 25 9 自動伴奏/トレモロ/シンセ 1,550,000  
1985 昭和60 NS-5 49/2 13/18/25 - - - パーツが選択できるシステムビクトロン
NS-7 49/2 13/18/25 - - - パーツが選択できるシステムビクトロン

ビクトロン千一夜

ビクトロンの歴史(3)

2019.04.19

9. さまざまなシーンで活躍していたビクトロン

 ビクトロンは野球場でも活躍していました。熱戦が繰り広げられる球場で、選手がバッターボックスに入るたびに選手のお気に入りの曲を演奏していました。

横浜スタジアム 川崎球場 西武球場

ビクトロン千一夜

ビクトロンの歴史(2)

2019.04.19

5. 画期的なEO-10S、ヒット商品EO-G3(1975-1976)

 ビクトロン史上名器とされたEO-10S。ニューモデルであるこの10Sは、電子オルガンにシンセサイザーの音源を完全に分離させて導入したもので、今では当たり前の多重サウンドを実現した最初のビクトロンです。

 EO-10SWの発売2年後の1977年(昭和52年)には、5人の女性ビクトロン・プレーヤーとして活躍していた佐々木久美さん、十時節子さん、杉原美紀さん、中島和子さん、八色奈保子さんの5人が、5台のEO-10SWを使って新しいオーケストラ・サウンドの表現を試み、音楽の表現はもとより、ビクトロンの普及、販促活動にも幅広い活動を展開しました。

EO-10S

 1976年(昭和51年)には、EO-G3を発売。これはオイルショック以後、停滞を続けてきた電子オルガン市場を活性化させ、ビクトロン人口の増加を狙って開発したニューモデル。EO-G3は、ビクトロン商品の中でも、大ヒットしたものとなりました。

 ファシネーティングコードという名称で、初めて自動伴奏装置が付いたのは、EO-G5F。海外市場の養成に応えてこの機種でビクトロンが海外にも出回るようになりました。

6. 従来のビクトロンを一新、Mシリーズ(1977-1979)

 1977年(昭和52年)にはEO-M8を発売することによって、NEW-Mシリーズの前身であるMシリーズを作り出しました。Mシリーズで初めてフルカプラーやエンベロープコントロールを採用。EO-M6(1977年6月)、EO-M8(1977年6月)、EO-M20(1977年12月)、EO-M10F(1979年5月)をそれぞれ発売し、Mシリーズを完成。

 特にMシリーズの中心機種となったM8は、電子オルガンにシンセサイザーの音作りの思想を初めて導入した、画期的で音色の素晴らしい楽器といえます。

 シンセサイザーとファシネーティングコードのついたM10Fは、発売後から作・編曲家の前田憲男さんが高く評価した楽器として知られており、全国ツアーをはじめ、オーケストラをバックにM10Fを演奏、音楽普及の活動に貢献した機種です。

 Mシリーズのラインナップが勢揃いするとともに、音楽教室の規模、体制ともに充実。音楽教室の機関紙である「ファミリー通信」(現在の「どれみクラブ」「Music Brunch」)が創刊されたのも1979年(昭和54年)の春からでした。

EO-M6

7.導入機種Gシリーズ、上位機種NEW-Mシリーズ(1980-1983)

 ヒット商品となったEO-G3発売後、EO-G2、EO-GR、EO-G5F、EO-G4FのGシリーズを販売開始しました。

 このGシリーズは、マジックアンサンブルがファシネーティングコードという現在のビクトロンについている機能に代わる、過渡期のシリーズと言えます。日本ビクターでは、将来の海外市場への参入を考えて、Gシリーズをさらに弾きやすく、また国内の音楽教室生徒のための導入機種として、NEW Gシリーズを発売しました。

 NEW GシリーズのEO-G30、EO-G40、EO-G50を1980年(昭和55年)10月に発売。NEW Gシリーズの3機種には、ファシネーティングコードを搭載しました。

 また、「6段階ドローバー方式」でのビクトロンの音づくりの伝統を守ると同時に、シンセサイザープリセット(8~12種)、ソロプリセット(4種)を採用しました。

 そして、それらのビクトロンの機能、効果を前面パネルに集中させ、電子オルガンの弾きやすさを徹底的に追求しました。

EO-G40

 Mシリーズで内外からの評価を一気に高めたビクトロン。さらに充実をはかるため、従来のMシリーズをよりグレードアップさせて開発したのが、NEW-Mシリーズ。

 NEW-Mシリーズ全機種には、ファシネーティングコードを付け、音楽教室のシステムが未発達の海外市場の要請にも十分に応えられるものとしました。また、NEW-Mシリーズをもって、ビクトロンが本格的にヨーロッパ、東南アジアの市場へと参入しました。

8. 最後のビクトロン、NS-7(1985-1990)

 1985年(昭和60年)日本ビクターは、「システムビクトロン」NS-7シリーズを発売。演奏者のテクニックやセンスに合わせて、それぞれのユニットを自由に組み合わせられる画期的な楽器でした。

 5台のシンセサイザー音源をデジタルコントロールして生み出す、「5セクションマルチプログラマブルシンセ方式」により、ナチュラルで美しい自然音から、ポップな感覚のエレクトリック音まで無限に音色がひろがりました。

 リズムセクションは、PCMステレオリズムを搭載。ビクター青山スタジオで録音された生のドラム音をデジタル録音して搭載しました。

 また、メモリーパックの採用により、オルガンオペレーションをボタンひとつで操作できるようにしたほか、MIDI機能をビクトロンとして初めて採用、他のMIDI楽器に接続できるようになりました。

NS-7 メモリーパック

部品が変更できるアップグレードの設計思想は、2004年(平成16年)3月に発売されたヤマハのSTAGEAにも採用されるなど、意欲的なモデルでしたが、日本ビクターはNS-7を最後に、1991年(平成3年)電子オルガンの製造を終了しました。

ビクトロン千一夜

ビクトロンの歴史(1)

2019.04.19

 ビクトロン(Victron)とは、日本ビクターが発売していた電子オルガンの商品名でした。

 1958年(昭和33年)、日本ビクターは国産初の電子オルガンを発売しました。以来、1991年(平成3年)に電子オルガン製造から撤退するまで、多くの機種を生み出しました。今となってはすっかり過去のものとなってしまったビクトロンの歩みを紹介します。

1. EO-4420の開発とその進展(1958-1965)

 戦後日本で、電子オルガンといえば、NHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」や映画「君の名は」などの音楽にハモンドオルガンが使われていたほどで、一般にはまだまだなじみの薄いものでした。

 そんな中で、1958年(昭和33年)に日本ビクターが国産初の電子オルガンEO-4420を発売しました。このEO-4420は、日本ビクター音響研究所の技術陣が自由な発想で開発したもので、真空管式の電子オルガン。音質は、パイプオルガンを彷彿とさせる美しい音色で、57万円という当時としてはとても高価なものでした。

EO-4420型
国産初の電子オルガン

 このEO-4420は、音質の良さが評判となり、発売後、教会、ミッション系スクールの礼拝堂などへ多数納入されました。

 EO-4420に続き、EO-A3、EO-3Bという試作品を開発していました。これらは、発売には至らなかったものの、本格的な楽器事業への参入を考え、技術研究を重ねていきました。

2. ビクトロンの誕生(1966-1969)

 「ビクトロン」という商品名が初めてつけられた機種は、EO-100。EO-4420の発売後、8年間の研究の末の発売でした。

 EO-100からドローバー方式を採用し、特にこの時期の中心機種であったEO-200は、ストリング系の音色が美しいと評価されました。

 当時ビクターの指導講師であり、プレーヤーでもあった道志郎さんが、EO-200を使い、全国各地でのコンサートやレコード製作でEO-200の美しい音色を如何なく発揮した演奏でした。

EO-100 EO-200
EO-300 EO-1000

3. ビクトロンの一大発展(1970-1972)

 EO-300に続いて、1970年(昭和45年)に同じくアイボリーデザインのEO-700を発売。この時期は、ビクトロンの発展期となり、フルート系のドローバーを重ね合わせて、豊かなオルガンサウンドを作り出す多カプラー方式を採用。特に、EO-700は楽器業界にビクトロンの音の良さを定評づけた機種となり、以後「音のビクター、音質重視のビクトロン」が業界の定説となりました。

 また、この時期全国に楽器専門店作りをはじめ、教室の指導体系・教材体系を確立させ、第1回ビクトロンコンクールが開催されたのも1971年(昭和46年)でした。

第1回ビクトロンコンクール決勝大会(1971年)

 森ミドリさんが、TBS系「8時の空」で、EO-700を使ってビクトロンのイメージを全国のお茶の間に広めたのも、1972年(昭和47年)からでした。同年発売されたEO-250SRには、電子オルガンに初めてオートリズム(20種)がつき、さらにEO-360STRがアイボリーデザインで登場、一般の多くの人々へビクトロンのイメージを印象づけた機種となりました。

EO-360STR

4. 教室の充実と海外進出を計画(1973-1975)

 EO-700、EO-250STR、360STRなどでビクトロンの機種構成が確立したのを機に、日本ビクターではソフトの強化、特に教室増設や生徒募集、講師養成講座の充実などを推進いたしました。

 また、1974年(昭和49年)に発売のEO-5Mには、自動伴奏装置(ファシネーティング・コード)の前身にあたる「マジックアンサンブル」を搭載。これは、国内、海外市場を分析した結果、電子オルガンに、より手軽な要素が必要と判断され、「マジックアンサンブル」が開発されました。

EO-5M

 そして、ビクターの技術を結集させて、三段鍵盤の「コンサート・ビクトロン」を開発。これは本格的なステージ用の機種で、森ミドリさん、小島秀子さんによってコンサートで使われ、またNHKの「歌のグランド・ショー」にも森ミドリさんと一緒に登場。ビクトロンの最高峰として注目されました。

コンサートビクトロン NETテレビ(現・テレビ朝日)スタジオでスタッフとコンサートビクトロン演奏の打ち合わせをする森ミドリさん